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2011'04.01 (Fri)

日本通運・ニチアスと戦った吉崎さん遺族アスベスト裁判勝訴

3月30日、王子アスベスト裁判の判決がありました。

吉崎さんご家族は長年にわたり、お父さんの為に、日通・ニチアスを相手取り裁判して来ました。
そして、3月30日に判決が出ました。勝訴です。

日通の「安全配慮義務違反」に関しては大橋家に続き2件目の勝訴です

日通ではアスベストだけでなく沢山のパワハラや残業カットがまだ続いています。
そして、精神疾患で休んでいる人もいます。

また、親の介護で目の離せない人を抱え、仕事を休んでる人に対し、有給休暇が無くなったからと、欠勤扱いで
何カ月もお給料が出ないまま在籍してる人もいます。しかしながら、今は、法律で、介護休暇があり、長期になる場合は、ハローワークに会社が手続きして3カ月は、ハローワークから何割か支給されるのにもかかわらず
会社は本人がそれを知るまではそう言った事がある事すら教えず、本人が知人から聞き、会社へ話したところ
やっと日通は手続きしてくれたそうです大手企業でありなながら…全く労動に関しては…
こんな事でいいのでしょうか?

以下は、毎日新聞より抜粋した、吉崎さんの判決内容です。

<毎日新聞より>


アスベスト:退職者の石綿死「賠償を」 日通、ニチアスに命令--大阪地裁
 日本通運(東京都港区)社員としてニチアス(同区、旧日本アスベスト)の工場でアスベスト(石綿)の運搬業務に従事し、退職後に中皮腫で死亡した奈良市の吉崎忠司さん(当時67歳)の遺族が、安全配慮を怠ったとして、両社を相手取り慰謝料など4678万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が30日、大阪地裁であった。田中敦裁判長は「石綿の飛散防止措置や安全教育を怠った」として、両社に計2620万円の支払いを命じた。

 判決によると、吉崎さんは69年から2年2カ月間、ニチアス王寺工場(奈良県)の倉庫に常駐して石綿の荷受けなどに立ち会い、石綿粉じんを吸った。両社はじん肺法などに反し、飛散抑制や防じんマスクの支給をしなかった。吉崎さんは退職後の02年に中皮腫と診断され、05年死亡した。

 日通は、現職社員の労災死亡には約3000万円の慶弔見舞金を支払っている。労災の中皮腫と診断された吉崎さんは労災補償はされたが、日通は退職していることを理由に慶弔見舞金の支給を拒否し、遺族が提訴した。中皮腫は潜伏期間が20~60年あり、退職後の発症も多い。

 田中裁判長は、ニチアスについても「石綿を取り扱うトップ企業であり危険を管理できた」とし、吉崎さんとは「雇用関係に準じる関係」と認定した。

 日通は「判決内容を検討し対応を決める」とし、ニチアスは「判決を読んでいないのでコメントを控える」とした。【大島秀利】

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2010'12.21 (Tue)

日通 尼崎アスベスト裁判 第9回口頭弁論 の報告

尼崎アスベスト裁判 第9回口頭弁論 の報告

12月16日(木)午前11時に神戸地裁尼崎支部3階1号法廷で、第9回目の口頭弁論が開かれました。とても寒い日でしたが法廷は今回も傍聴者で一杯でした。
今回の弁論期日までに原告と被告双方が提出した書面を確認したあと、次回の弁論期日が明らかにされ、わずか3分で終わりました。これは、弁論に先立って開かれた非公開の弁論準備の場で協議した内容を、今回の公開された弁論の期日で正式に口頭弁論したとして確認するというセレモニーだからです。
だから、傍聴者には、裁判の進行状況や弁論の内容が不明で、弁護士の解説で知ることになります。
建物の外で寒々しい中、みんなが肩を寄せ合い、今回も弁護士から解説を受けました。
「被告の反論に対し、原告から①予見可能性②安全配慮義務について反論し、クボタは“昭和37年から日通のトラックは来ていない”と主張しているが、日通に“その通りなのか?資料で明らかにせよ”と『求釈明』した。そして、被告が再反論の機会が欲しいと言ったので次回の期日が設定された。今後は、争点整理→証人申請→証人尋問(来年夏前か?)となる。」
そこで、『予見可能性』について質問があり、「予見可能性とは、単に知らなかったではなく、いろんな情報などから“いつごろから危険性が分からなければいけなかったのか?”と言うもので、クボタは“低濃度のアスベストの曝露が有害と分かったのは、早くて1970代以降だ”と言っているが、原告は実態をあげ“真っ白い粉塵がモウモウと舞っている中で仕事をしていたのだから、塵肺(石綿肺)の危険性は、1940年には分かっていた”と主張した。」
最後に、司会者から「話し合いを始めてから4年になる。今も日通大阪支店前で門前ビラまきをしているが、日通ビルに“安全(運転)を心がけています”という掲示があるのは、一体何か?と思う」という痛烈な皮肉がありました。
次回弁論は、来年3月10日(木)午前11時から同法廷で、と決まりました。
23:31  |  アスベスト訴訟  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT   このページの上へ

2009'12.28 (Mon)

日本通運12月9日 王寺アスベスト補償裁判 の模様

12月9日 王寺アスベスト補償裁判 の模様

大阪地裁1010号法廷で12月9日午後4時から弁論が開かれました。
まず、提出された書面が確認され、裁判官から原告と被告の日通・ニチアス側に問いかけがあり、原告は、「証人申請する方向で検討する」。ニチアスは、「証人予定を明らかにしたい。」日通は、「証人申請は、高齢などで出廷できるか本人の判断に任せたい。主張は、日通は荷物を運んでいるだけだが、していきたい。」とおのおのより返事があり、裁判官は「来年、一定の目途を付けたい」としました。
次回は、進行協議が2月2日、弁論が2月10日(水)午後4時に大阪地裁1010号法廷でと決まりました。
閉廷後に報告会があり、弁護士は、「日通側が予定している証人は、本人が2年間“日本アスベスト”(現、ニチアス)で働いていた時期の支店長。80歳を超えていて車椅子で目がよく見えないようだが、頭はしっかりしているらしい。陳述書は出している。王寺駅の貨物専用ホームで石綿の積卸をしていたと言っていて、場所について原告の主張とズレがあるが、石綿の積卸の場所にいた事には違いない。」との説明を受けて、本人の弟さんが「兄は、『ニチアス社員はマスクをしていたが、自分は口にタオルまいていた。ニチアス工場の側線で石綿原石を卸していた。工場内で机を置いて手配などの仕事をしていた。積卸作業の手伝いもしていた』と言っていた」と、ニチアス工場内で仕事をしていたことに間違いがないとの事でした。また、労基署に側線を使っていた記録があるとのことです。続けて、弁護士が「準備書面は出したが、働いていた期間が短いので状況がハッキリしない。ニチアスは、『常駐していない。別の場所だから責任ない』日通は、『ニチアス担当にしていたが1日に1時間か30分くらいしかしていない。』と曝露する場所で仕事をしていたことは認めているが、工場かどうかは証人が必要。本人の病理解剖で石綿小体が出ていた証拠を提出。裁判官は『双方が主張をそろそろ止めて、証人申請してほしい』と言っている。何しろ40年前の話だから・・。」と説明がありました。 そのあと、患者家族の会、梅川さん、大橋錦美、SD裁判、泉南アスベスト裁判、火災報知器会社アスベスト被災裁判本日提訴、から報告があり、最後に原告の吉崎さんから「暗中模索ですが、皆さんの闘いに励まされて頑張れます」との感謝の言葉がありました。

日通も、ニチアスも散々働かせておいて、いざ困ると、曖昧な返事や、中々証拠も出してこない。そして知らぬ存ぜん。それは、今も、昔も変わらない事が、よく分かります。何十年と定年まで働いてくれた社員に対しても卑劣な対応しかできないのでしょうか?社員がどこに転勤し、どこに所属しどんな仕事していたか日通は記録はないのでしょうか?
そう言った意味でも社員管理が出来ていないのが本当によく分かります。こんなに無関心だから、パワハラや残業カット・安全配慮義務違反がなくならないのでしょう
19:49  |  アスベスト訴訟  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT   このページの上へ

2009'10.24 (Sat)

王子アスベスト保障裁判

10月21日 王寺アスベスト補償裁判の模様(吉崎さん)

10月21日(水)午後4時から大阪地裁1010号法廷で弁論が開かれました。裁判官からの問いかけに、原告の準備書面に対しニチアスが「対応(反論)したい」、日通は「証人申請したいが高齢なので可能(出廷できる)かどうか?」と回答があり、それに対し裁判官は「原告の人証(証人尋問)は来年以降になるが、提訴から丸2年が経ち来年度中に終結(結審)を迎えたい。ニチアスは人証も考えてほしい」との意向でした。
次回の進行協議が11月26日、弁論が12月9日(水)午後4時に大阪地裁1010号法廷でと決まり、裁判官は「次回進行協議で来年度どのようにして行くか裁判所として概略の方針を出す。余り時間がない」とのことでした。閉廷後に、弁護士から次のような説明がありました。

*ニチアスの工場に1969年7月から1971年8月の2年2ヶ月働いていた間に、どんな仕事をしてアスベストを曝露していたか、一緒に働き当時の状況を知る人が2~3人いるが1人は80歳超えている。ニチアスは「対策してきた」と言ってるが、日通は主張してこない。裁判官は「実際に証人尋問したい」とのことで、次回に証人として誰を呼ぶかを決める。そのあと、原告から「原因はかなり前、遅発性の病気、状況がなかなかつかめないが精一杯明らかにして行きたい」との気持ちを明らかにされ、尼崎アスベスト裁判、大橋家の裁判、ペリカン便偽装請負裁判、日通組合裁判、泉南アスベスト裁判から闘いの報告がありました。

吉崎さんの娘さん2人は、一生懸命何十年も日本通運社員として定年まで働いていたお父さんの背中を見て育ちました。そんなお父さんが労災認定になる病気で亡くなったにも関わらず、日通もニチアスも責任逃ればかり考えて認めようとしない会社の犠牲になり労災認定までされているにも関わらず日通はテレビのスポンサーや政治献金の為には莫大なお金を払っているのではないですか?皆さん、どう思いますか
04:24  |  アスベスト訴訟  |  TB(0)  |  CM(1)  |  EDIT   このページの上へ

2009'10.11 (Sun)

尼崎アスベスト裁判第3回口頭弁論の報告です

今日は先日行われました
尼崎アスベスト裁判第3回口頭弁論の報告です

9月24日(金)午前10時30分、神戸地裁尼崎支部3階1号法廷で、第3回の口頭弁論が開かれました。
たくさんの書面の確認の後、遺族の桐山慶子さんから次のような意見陳述がありました。
≪夫は、1954(昭和29)年6月から1963(昭和38)年7月に退社するまで9年余り日通尼崎港支店でトラック運転手として働きました。私たちは1956年(昭和31年)4月25日に結婚。作業服は、白っぽい埃で真っ白。私が洗濯していました。アスベストの粉塵を浴び続け、私も吸い込んでいました。日通を退職後、阪神バスの助役を勤め、そのあとシルバー人材センターで働きました。1999(平成11)年10月に胸の苦しさを訴え、宝塚市民病院に行き、悪性胸膜中皮腫と診断されました。どのような仕事をしていたか聴かれましたが、あとで調べて、その恐ろしさが分かりました。入院し、抗がん剤で辛い毎日。2000(平成12)年に右肺全摘して退院しましたが、苦しい苦しいと酸素吸入して食事も満足に食べることができませんでした。家族の辛さは言い尽くせません。5月に再入院し、右膿胸で呼吸困難のうちに、6月27日他界しました。その後にクボタのニュースを見て、日通で働いていたときのクボタのアスベストが原因と分かりました。労災申請し時効と言われ新法で認定されました。日通に補償を求めたところ、回答は「退職しているから補償はできない」と言うものでした。9年余り日通の従業員として一生懸命働いてきたのに・・・。「発症したのが退職後だから補償できない」といういうのはヒド過ぎます。死に至らしめた誠意が感じられません。防塵マスクなどの対策をとってくれませんでした。クボタも許せません。・・・≫
閉廷後に簡単な報告集会が持たれ、まず弁護士から「①慶弔見舞金②知見論(いつごろ発病か)③労災関係の証拠を提出した。クボタ以外にアスベストの曝露はないことを立証する」と話され、支援する会から会員が110名4団体になったこと、次回も意見陳述がある、このあと日通大阪支店前でビラまきをする、これからも多くの人に知ってもらって支援してもらう、と報告がありました。そして、全日通労組言論の自由侵害梅川裁判が翌日25日に判決、日通航空いじめ自殺大橋裁判が10月19日に結審なので各原告から支援要請がありました。SD裁判も翌日9月25日に結審ということもあり開廷前に傍聴参加者に多くの署名をいただきました。
次回は、進行協議が12月3日で、弁論が12月10日(木)午前10時30分に神戸地裁尼崎支部3階1号法廷で開かれます。


色々なアスベストを使用していた会社がアスベストで退職後に労災認定された社員・家族にお見舞いと言う事で被災者に支払っていると言う新聞記事で以前見ました。日本通運はなぜ?
事実を調べ包み隠さず話す事が出来ないのでしょうこの沢山の被害者で川合社長と一度きちんと話したいですね。でもいつも川合社長は逃げてばかり。会社は悪くない!ちゃんとした理由があるのなら何も怖い事ないわけだから、我々も勿論筋の通ってる話なら納得も行く。こちらだけが川合社長を責めるわけではない。お互い話し合いをしたい。社員や遺族の声は川合社長は聞くも社長としての役割でもないですか!
02:57  |  アスベスト訴訟  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT   このページの上へ
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