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2009'05.07 (Thu)

尼崎アスベスト裁判 初回弁論の報告

尼崎アスベスト裁判 初回弁論

4月23日(水)午前10時30分から神戸地裁尼崎支部1号法廷で、マスコミも駆けつける中、傍聴券が発行され、傍聴できなかった方も多く出るような状況で、初回弁論が開かれました。
まず、古嶋さんから次のような意見陳述がありました。
―夫は、昭和11年に兵庫県養父市に生まれ、1956年~62年までの6年余り、日通尼崎港支店からクボタ神埼工場に石綿の入ったドンゴロス(麻袋)を運び、積卸ピット(引っ掛けて荷扱いをする)作業に従事していました。そのためドンゴロスに穴が開き、アスベストの粉塵が飛散し、マスクがなく全身が真っ白になっていました。
私たちは、昭和34年に結婚し、光化学スモックを避け明石へ転居しました。夫は2004年12月から足のむくみと腹の膨らみが出てきて、病院に行くと、水がお腹にたまっていてアスベストによる中皮腫と診断されました。生き証人として労災申請しましたが、食欲なく、腹水が溜まってお腹が膨らみ、痛みが激しく一睡も出来ないので、モルヒネを投与し、2005年3月、68歳で亡くなりました。受診から4ヶ月のことでした。
そのあと、今度は娘がまた中皮腫に・・・。幼児のときに父と接触していたのが原因です。娘は1999年に夫と死別し3人の子どもを育てていました。働いていた本人ではないので労災は適用されません。娘は昨年8月に亡くなりました。
自分もいつ発症するかも知れない不安の中、2006年1月から日通と補償の話し合いを延べ6回もしましたが、責任者は現れず、「アスベストは運んでいない」と否認し、「退職者だ」と部外者扱いしました。―(要約)このあと、進行について裁判官から促されると、日通側は、「なにしろ50年くらい前の話、なかなか事実関係わからない」、クボタは「治験の証拠がない」と逃げましたので、証拠の出し方について5月21日(木)午前10時30分に進行協議を持つことになり、2回目の弁論期日は7月2日(木)午前10時30分、1号法廷に決まりました。
裁判後にもたれたミニ報告集会では、まず弁護士より、原告からは訴状提出、意見陳述と進めたが、被告からは骨だけの答弁書が出ているだけなので次回までに主張の補充がある。原告は、膨大な証拠を提出し、被告反論に対する再反論を行う。と説明がありました。
そして、この尼崎アスベスト裁判を支える会からのカンパ要請があり、旧国鉄の方から、アスベスト補償交渉で1年半かかりましたが、この3月に和解で解決しました。と報告がありました。

他の企業では、退職された社員にも・・・そして遺族の方にも現役社員同様の補償している会社もあります。また、何十年前であろうが、3年も前からアスベスト遺族が訴え、6回も話し合いをしているにもかかわらず事実関係が分からないおこる・・3年と言う期間がありながらおこる日本通運は裁判になり、公の機関が間に入らないときちんと話し合いに応じたり、きちんと調査したりしてくれないのでしょうか?それに事実関係が分からないのに何故「アスベストは運んでいない」と言い切れるのでしょうか?

6月は2週にわたり大橋家のいよいよ証人尋問です。詳細は次回のブログでアップしたいと思いますグー!
21:36  |  アスベスト訴訟  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT   このページの上へ

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